『傘をひらいて、空を』槙野さやかさんインタビュー。「文章を公開することは、灯台の灯を点すこと」

「伝聞と嘘とほんとうの話」として、はてなダイアリー時代から長きにわたり多くの読者を魅了しているブログ『傘をひらいて、空を』。今回は、著者の槙野さやか(id:kasawo)さんにメールインタビューしました。ブログを始めたきっかけや影響を受けた作家、そして文章に関することなど、ブログにまつわるさまざまなことについて伺いました。ぜひご一読ください。

(取材・構成:はてなブログ編集部)

槙野さんの手元にある本。満足するまで読んだ本は人にあげるのだそう

誰もが人の目に触れうる場で書けること、それを長く残せることが、大きな価値

ーーはてなブログ(はてなダイアリー)を始めたきっかけについて教えてください。

 文章を書くことは、子どもの頃から生活習慣の一部でした。当時は反古紙の裏にする落書きでしたが、PCを持つようになり、書いたものが手元に残るようになりました。ずっとひとりで書いていましたが、「これは他人が読んでも悪くないものだ」と言われる機会があって、インターネットに出すことにしました。

 はてなダイアリーを選んだのは、長文を掲載する文化があり、好きな作家やライターも使用していたからです。その後、はてなブログへ移行しました。また、例えば伊藤計劃のように、物故作家のブログが残っていて、お墓参りのようにアクセスできるのもファンとして助かります。誰もが人の目に触れうる場で書けること、それを長く残せることが、ブログの大きな価値だと思っています。

ーーブログの書き方について教えてください。1つの記事にどれくらいの時間をかけますか? また、どのような手順でエントリーを書かれていますか。

 キーボードを使う時間だけなら、記事1本あたり30分から50分程度です。休憩時間に適したサイズで出力すると決めています。手順としては、日常生活の中で単語や断章をスマートフォンに残しておき、そこから書き起こすケースが大半です。何の材料もなく書き始めることもあります。「手元の本を開いて最初の文章に入る1語を決め、何時までに書く」といった制限を課して遊ぶこともあります。結語を先に置いてそこに向かって書くのも好きです。いずれにせよ、冒頭の一文を書けば2,000字程度は出てきますから、あとはリズム感を整えながら字数をそろえるだけです。長くなりすぎたら2つの記事に分けることもあります。その場合はもっと時間がかかります。

ーーご自身の記事を読み返すことはありますか? また、今まで書いた記事の中で、印象に残っているものはありますか?

 あまり読み返しません。手元に読む本が無い場合、自分が過去に書いたものを読むより、新しいものを書くことが多いです。私はとにかく新しく読むものが無くなることが恐ろしいのですが、自分で書くことができれば、読むものがゼロにはならないので、ちょっと安心なのです。

 記事自体が自分の印象に残ることは無いのですが、たくさん読まれたり褒められたりしたのがうれしくて覚えているものはあります。今でもTwitterなどで「あれを読みました」「今週の記事を読みました」などと言われると、何度でもびっくりします。とてもうれしいです。

文章は食品兼ドラッグ

ーーブログ『wHite_caKe』のエントリー「大和撫子の声」をリライトした記事*1を投稿されていますね。この記事に惹かれた理由や、リライトした感想を教えてください。

 「そういえばあの名作、みんな読んでないのかな」と思い返したことがリライトのきっかけです。『イチニクス遊覧日記』(ブログタイトルもすばらしい)のリライト*2も動機は同じです。
自分が好きな小説はみんなに読んでほしいのですが、私が紹介しても効果が見込めません。例えば有名な芸人さんがテレビでトマス・ピンチョンを紹介すればいくらか売れるんだろうけど、私がリチャード・パワーズやスティーヴ・エリクソンを紹介してもたぶん駄目です。数千円の出費には、それなりの理由が必要だからです。でもブログならタダだし手元のスマートフォンですぐ読めます。


 書く側としては、リライトや翻案には別人を演じる楽しさがあります。コスプレのようなものです。仕上がりが似ていなくても良くて、普段と違うものを着るのが楽しいというタイプのコスプレです。

ーーTwitterやブログの中に度々作家の名前が登場します。文体や文章に関して、影響を受けた作家はいらっしゃいますか?

 私にとって文章は食品兼ドラッグみたいな存在です。文章を読むのは気持ちが良いからで、読めないと衰弱します。

 昔の有名な小説は、どの図書館にもあったので、成人前にがつがつ読みました。よく分からないものもあったけれど、気持ち良ければそれでいいやという姿勢でした(今でも割とそうです)。芥川と太宰と安吾はブログエントリーの元ネタにもしています。いちばん長く影響を受けているのは須賀敦子です。

 ここしばらくは現代の日本とアメリカの作家を主に読んでいて、いちいち影響を受けています。今読んでいるのは小川洋子の新作で、次は松浦理英子と村上春樹の新作*3を買います。この数年で新しく読んだ作家では、ステイシー・レヴィーン(岸本佐知子訳)に完全にやられました。朗読とかしています。ひとりで。人に聞かれるといろいろ障りがありますが、とても楽しいです。良かったらこっそりやってみてください。

文章とメディア

ーー2010年に「iPhoneで文章を読むということは、本を読むことやPCの画面を読むこととは違う、新しい種類の体験なんだな、と思いました*4」と書かれていました。よりスマートフォンが普及した今、スマートフォンで文章を読む体験はどのように感じられていますか?

 当時より、紙の本と電子媒体の境界が薄くなったと感じています。多くの作家の作品に電子書籍版が発行され、長編も大きなストレスを感じずに読むことができます。私は愛書家ではなく、好みの文字列が読めればそれでいいので、電子書籍は大歓迎しています。人に貸したりあげたりしにくいといった不満はありますが、致命的な問題はありません。電子書籍版が無くて戸惑うこともあります(直近だと少年アヤ新作とか)。

 ただ、本は電子書籍だけでいいとは思いません。「もうすぐ絶滅するという紙の書物」であっても、私の生きているうちに無くなるのは困ります。日用の糧である読書の全てを特定の電化製品に預ける気にはなれません。それに、紙の本は物体として美しく魅力的です。スマートフォンのインターフェースも洗練されてはいますが、長年の経験から紙の本を読む快さが染み付いているためか、自分にとって無くてはならないものだと感じます。

ーー雑誌にエッセイを寄稿されたご経験もありますよね。雑誌に掲載するエッセイとブログの文章について、違いはありましたか?

 商業誌に掲載される場合、編集者さんのアドバイスが入ります。専門家に手を入れてもらうのは心楽しいことでした。プロフェッショナルは良いものです。また、取材をして書くことも新鮮でした。ブログに載せているような文章を書くために準備や努力をするのは初めてのことでした。

 他人のビジネスに関与するのは覚悟の要ることです。雑収入の処理が煩雑だった時期もあり(現在はそうではありません)、オファーに対して慎重になる癖がついています。ありがたいことに、実際に寄稿した商業誌では良い経験しかしていません。しかし、仮に同じようなことを毎週できるかと問われれば、できません。好きに書いてそれきり忘れても構わない孤独で自由なブログとはまったく違うものです。

ブログにアップすることは、灯台の灯を点すこと

ーーブログを書き続けていることでさまざまな反響があったかと思います。続けていて良かったことや感じたことがあれば教えてください。

 前の回答と重なりますが、読まれること自体がうれしいです。何年も反応や感想をもらっていますが、全然慣れません。

 私たちは、他者と何かを共にし、言葉を交わし、認め合い、あるいは手を取り、抱き合って、長い時間を共にします。けれども、そういうのは社会的な、あるいは動物的な行為です。身体や属性を伴うコミュニケーションです。それに対して、文章には何も付随しない。言葉だけです。しかも私が書いているのは特に役に立たないものです。検索する必要のないものです。それが誰かに受け取られ、感想やメッセージが返ってくるなんて、大変なことです。毎週びっくりしています。

ーー槙野さやかさんがブログを書き続ける理由を教えてください。

 生きていれば私は文章を書きます。書くことに理由はありません。誰にも見せないという選択肢もありますが、ここしばらくは見せることを選び、ブログに載せています。

 人に見せるのはどうしてかと言えば、たぶん、さみしいからです。私は誰といても、どこに所属しても、どんなに幸福でも、どれだけ成熟しても、何を所持しても、いつもずっと、さみしい。無人島にいるように、私はさみしい。生まれつきそういうたちなのです。

 書いたものを人目に触れさせる、つまりブログにアップすることは、灯台の灯を点すことに似ています。私はブログを書く自分を、無人島の崖の上に日干し煉瓦を積み、ささやかな塔を建て、そのてっぺんで火を起こしている灯台守だと思っています。書くことは生きている限り使う竈(かまど)の炎、人に見せることは灯台の明かりのようなものです。

ーーご回答ありがとうございました。これからも更新楽しみにしています。

槙野さやか(id:kasawo)

槙野さやか

2009年よりブログ『傘をひらいて、空を』を開始。「愛のもたらす具体的な効用」」「作文が終わらない」「友だちの焼豚の話」「涙袋」「鯨骨生物群集 長女」など、「伝聞と嘘とほんとうの話」を織り交ぜたエントリーを投稿している。

ブログ:傘をひらいて、空を Twitter:@kasa_sora