僕の12年にわたるブログライフを振り返って(寄稿:フミコフミオ)

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キャンペーンは終了しました。たくさんのご応募、ありがとうございました。


僕はフミコフミオ。「はてなダイアリー」と「はてなブログ」で長年くだらない文章を書き続けてきた会社員のオッサンだ。このたび「はてなブログ」をきっかけにKADOKAWAさんより『ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる』という長いタイトルのエッセイ本を出すことになった。それにあわせて株式会社はてな様のご厚意により、このような場所をいただいたので、僕なりのブログ・ライフの総括とブログを書くことの楽しさについてお話したい。皆さんのブログ・ライフの充実のお力になれたらうれしい。

なぜブログだったのか?

まず、僕がブログをはじめたきっかけについて。僕がはてなブログの前身であるはてなダイアリーをはじめたのは2003年の年末。はてな歴は実に16年。当時はyoshi_aquariusというアカウントでその日自分が感じたこと、読んだ本や聴いた音楽、観た映画についての感想などのメモのような短文日記を書いていた。今のはてなユーザーでそのころの僕を知っているのはほとんどいないのではないか。その短文日記を3年ほど続けたあと、私生活の乱れからアカウントを消して2007年の春に現在のアカウントとタイトルで再開して現在に至る。

はてなダイアリー(はてなブログ)をはじめたきっかけは、「何となく面白そうだったから」だ。当初は日常メモ程度の内容だったので、当然のことながら、目的や目標といったものもなかった。実は、はてなに引っ越してくる数年前よりさまざまなウェブ日記サービスを利用して日記的な文章をウェブで書いていた。ウェブ日記をはじめた当初(1999年ごろ)の僕は、本当に仕事が忙しく、余裕もなく、週末は1日中ゴロゴロ寝てすごすような有り様だったので、ストレス発散もかねてネットに自分のことを書いていれば、同じような境遇の仲間が見つかるかもしれない、とぼんやり考えていた。だから、ブログをはじめたきっかけを、ひとことであらわすと「友達100人できるかな」になってしまう。しょうもないね。

では、なぜ「はてな」だったのか。なぜ、数あるウェブサービスを乗り継いできて、はてなダイアリーに行きつき、そのまま10数年もの長い間利用しているのか。それは芸能人、有名人、一般人が同じ地点で文章を書いている「クラブ活動の発表会的な雰囲気」が個人的に気に入ったから。ギスギスしてなくて、自分の好きなことを書いている空気を感じたのだ。またキーワードリンク機能で自分と同じ趣味や似た考えをした書き手を見つけられるところもよかった。友達100人できるかな、という目的・目標にあっていた。

僕は2019年の今でも、はてなブログで記事を書くときは、何となく面白そう、というブログをはじめた当初のフレッシュな感覚を持つことができている。それははてなが、いい意味でプロ化せずに、クラブ活動とか発表会といった、アマチュア感たっぷりな雰囲気(すみません)を残しているからだと僕は推察している。自分が感じるサービスの雰囲気ってマジで大事。今は僕もSNSやツイッターでも文章を垂れ流しているけれども、そういう感覚を持つことができるのは、はてなブログを書く時間だけだ。だから今、「なぜブログだったのか」という問に対する僕の答えは「はてなだったから」になる。もし、ブログをはじめてみようかと思っているなら、理由とか目的など考えずに、まず、やってみてほしい。ブロガーには誰でもなれる。書きはじめたときの感覚を持ち続けられる人なら誰でも。僕のように。

継続は力なり、ではない

2007年春にスタートさせた現在のアカウントで12年半もはてなブログ(はてなダイアリー)を書き続けている(前身のアカウントも含めれば16年間!)。他のはてなブロガーとの交流はほとんどない非社交的な僕だが(株式会社はてな社員の方に「フミコフミオが実在している!」と驚かれるほど)、「はてな」のトップページで目についたブログはできるかぎり見るようにしている。なかには、ふと、後になって「あのブログ今は何しているのかな?」と思い出して確認すると、数カ月や数回書いただけで更新が止まってしまうものもある。寂しい。なぜヤメてしまうのだろうか。ご丁寧に更新停止のお知らせを書いてくれる人たちがいて、その行間を読むと、ネタがないから、忙しいから、面倒くさいから、といったあたりがその理由になっているみたいだ。

僕は、継続して更新しているが、「継続は力なり」とは言いたくない。むしろ大反対。頻繁に更新をしなくても続けられるのがブログのいいところだと思う。実際、ブログって面倒だ。仕事から帰ってきて眠いのを我慢して、あるいは、他の娯楽を我慢して書くのだから。僕が続けてこられたのは、自分の好きなタイミングで好きなことを書いてきたからだ。僕は年間に二十数回しか更新しなかったこともある。多い年でも毎日は書かない。数カ月ほどお休みしたこともある。それが僕の更新ペースなのだ。

だから、ちょっと書くのが面倒でやめようと思っている人は、それがあなたにとっての最適な更新ペースではないというだけのこと。半年に一回。一年に一回。それがあなたのペースなのかもしれない。毎日更新! 1記事1000文字以上! みたいな縛りを作るのはブロガーとしての命を縮めかねないので避けよう。ブログはもっと自由に気楽にやった方がいい。ブログを続ける秘訣は、自分にとっての最適な更新ペースを見つけることだと僕は思う。

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ブログの執筆は、ほぼ100%ガラケー(ガラホ)。1分間に80文字超打つことができる

目標が個性を奪う

「ブログが好きです」とアッピールするブロガーがヤメてしまうのも不思議でならないが、理由は、おそらく、ブログが好きすぎるからだろうね。ブログに対する期待、一方的なブログ愛にブログが応えてくれることはマレだ。だからブログ愛に見合ったギブがないと絶望してヤメてしまうのではないか。僕は12年間のはてなブログ生活のほとんどが一方的な愛を投げつけるだけであった。特に最初期の数年は自分だけが閲覧しているような有様だった。ブログとは気まぐれな性格をした異性みたいなもの。自分の思い通りにいかないのがデフォルトだと思うようにしよう。思い通りにいかないから面白いのだ。

ブログを書くこと(続けていくこと)について、目標を立てるのなら自分独自のものにしていった方がいい。ブログを通じて得られる金額や執筆オファー数、あるいは閲覧数のような数値目標、第三者が評価しやすい目標にしないことが大事。もちろん数値的、客観で分かりやすい目標を持つのは悪くはないが、あくまで第二目標とすること。

例えば、閲覧数を目標にすると、どうしても人にウケるものを目指してしまいがちになる。人は何を望んでいるのか。今、世間では何がウケるのか。そういうものを目指すと、よほど独特な視点や技巧がないかぎり、ブログからは個性が失われる。大勢が、同じようなニュースに対して同じような意見を書いているから。だから目標はごくごく個人的なものがいい。例えば、今日見た花の美しさを自分なりに文章であらわせているか、とか主観的なものがいい。ちなみに僕の目標は、「音とか色とか匂いとか文章で伝わりにくいものを自分なりに伝えられたらいいなあ」である。いまだにこの目標は満足できるレベル達成していないので辞められない。ちなみに僕は閲覧数の目標を立てたことはない。

僕はネタに困ったことはない

僕は12年間のはてなブログ生活で書くネタに困ったことは一度もない。日々ネタを探すこともない。「ブログ書くぞ」と思った瞬間に書くことが自然に出てくる(この文章もそうだ)。一方で、「ブログに何を書けばいいのか分からない」「ネタがない」という人もいる。書くことやネタを探そうという意識が逆によろしくないのではないか。書くことが見つからない人は、素直な自分の目で世の中を見ていない。

例えば、仕事にいく途中にかわいいネコを見かけたなら、こんなのネタにならないと切り捨てずに、そのまま素直に書けばいいではないか。そのネコが野良なのか家ネコの散歩なのか、なぜかわいいと思ったのか、そのかわいさは綺麗なかわいさなのかブサかわいさなのか、いつも見かけるネコなのか、はじめて見るネコなのか、はじめてならなぜそこを歩いていたのか、などなどいくらでも描ける。ネタ探しというフィルターをかけて世の中を見つめると視野が狭くなる。いちどそのフィルターを外して自分の裸眼で世の中を見ると良いのではないかな。

平凡な素材を独自のものにする

目で見たもの肌で感じたものをそのまま書く。その素材が平凡極まりなくても、素材にかかかる経験や体験や記憶をブレンドさせていくとオリジナルな記事になっていくので試してもらいたい。あなたの経験や体験や記憶はあなただけのものだからだ。例えば先ほどの仕事に行く途中に見かけたかわいいネコという素材に、過去の思い出を混ぜる。昔飼っていたニャン吉の話や、ネコ好きな女の子に気に入られるためにキャットフードを食べた話とか、あなたにしか語れない物語があるはず。今日見かけたネコきっかけで自分を語るのが個人ブログの面白さじゃないかな。

そこで一番大事になるのは、自分の言葉で語ること。言葉は自分そのもの。だからブログの内容にもよるが、知らない言葉・言い回しはできるかぎり使わない。日常生活で使わない言葉を持ち出さない。僕は自分の使える言葉でしか文章を書いていない。オハシさえうまく使えれば、ハンバーグだって上手に食べられるのと一緒。無理をしていないからストレスもない。続けられる。

使い慣れない言葉では伝わらない。難しい言葉/言い回しを使うと、なんとなく賢く見えてカッコいい。文章がうまく見える。そんなことよりも自分がきっちりと使える言葉でうまく素材を扱えるようにしていこう。それで相手に伝わったときの楽しさや伝わらなかったときの反省がブログを続ける理由にもなりうる。使える言葉や技巧は少しずつ増やしていけばいい。背伸びして難しい言葉を使ってうまく見せているけれど何を言っているのか分からないブログは書いていても楽しくないと推測する。

自分だけの物語を語ろう

前段で「自分の言葉で語ろう」と書いたが、一歩進めて、自分だけの物語を語るようにしよう。そんなの当たり前じゃないか。個人ブログなのだから。という反論が聞こえてきそうである。でもどれだけのブログが自分の言葉で自分の物語を語っているだろうか。執筆のお仕事のときはクライアントのオーダーに寄せなければならないが、個人ブログは自由だ。自由だったら、好きにやればいい。誰かが望むものではなく、まずは自分が語りたいもの、届けたいことを書いていくこと。目標をごく個人的主観的なものにするのも、自分だけの書きたいものを書くためである。僕が12年間もブログをやってこられたのは、いろいろな要因があるけれども、自由でオリジナルだったからだ。文体も、構成も、内容も、自分のやりたいようにやってきた。オリジナルであることが楽しかったからだ。

もし、多少なりとも自分の書きたいものを、誰かが望んでいるものへ寄せていくと個性が損なわれていると考えた方がいい。仕事としてやるのなら望まれるものを書かなければならないが、個人で運営しているブログでそんな縛りを入れる必要はない。僕は個人ブログについて、人の反応よりも自分の反応へ重きを置くようにしている。ものすごく読まれて取材依頼を受けた記事もあるけれど(ちなみに取材等は全部断っている)、自分の評価は全く別もの。書いていて楽しかったか。書き終わったとき満足感があったか。その文章は世界でひとつだけのものか。そういった自分だけの物語でないと得られない感覚が、ブログを書き続ける推進力になる。実際、そうであった。ブログを書くこと自体が楽しくなってきて、ヤメられなくなった。書かないと体調がおかしくなる。

はてなブログを書いてきて、まったく営業活動をしていないのもかかわらず、この夏に終わってしまったぐるなびさんの連載をはじめとしていくつかの執筆オファーをいただいてきたけれど、それは僕が僕だけにしか書けないものを下手なりに書き続けてきたからだ。オリジナルであったから発見された。もし、オリジナルなものでなかったら、僕のような中年のブログがサルベージされることはなかったはずだ。他人に合わせず、己に合わせよう。

なぜ、今、ブログなのか

ブログはオワコン。そんなフレーズを聞いたことがある。確かに今はSNSやインスタがあって、あえてブログを書く理由はなくなっているのかもしれない。インスタに比べれば面倒だし。でも、僕はあえて今こそブログだと思う。SNSは流れて行ってしまう。例えばツイッターで僕は自分の言葉足らずのせいで炎上したことがあるのだけれど、今、そのツイートが持ち出されることはほとんどない。流れてしまうからだ。

それに対して、数年前に書いたブログへの反応は今でもある。10年以上の記事についてメールをもらったこともある。僕のブログを気に入ってくれた人のうち何パーセントかは僕が書いた最初の記事を読んでいる。それってすごいことだと思う。つまりブログとは流れの激しいSNSに浮かぶ自分だけの島なのだ。読んでくれる人たちは島を訪れる観光客。その島だけにしかないものをつくって観光客を驚かせよう。自分のために。

自分が見て、感じて、書いてきたことが流れずにストックされているというのは、どんなにくだらないものであれ、意味がある。10年以上前の自分のブログを読んでみると、自分の変化と変化していない部分が見えてくる。反省するかもしれない。人生がすこし好きになるかもしれない。ブログを書くことによって、自分のファンになろう。自分の人生のファンになろう。個人ブログに意味があるとしたら、そういうことじゃないかな。もし、僕がブログを辞めるとしたら、何もせずに放置するだろうね。何年かたってから、いきなり再始動するかもしれないから株式会社はてなさんには永く存続してほしい。こんなふうに、僕はただ、どうでもいいこと、自分の書きたいことを勝手気ままに書いてきただけだ。

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最後に宣伝を

書きたいことを書いてきた結果、9月27日にKADOKAWAさんから書籍を出すことになった。タイトルは『ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。』内容は、僕らが生きている上でかんじてしまう生きづらさの正体とは何か? どうすれば生きづらさをやり過ごせるか、をテーマにした胃に穴があくエッセイ集。完全新作のエッセイが30数篇収録の特濃本なので、消費増税の前に手に取って読んでいただけるとありがたい。もちろんこの書籍もブログと同じように僕はただ自分が書きたいことを書いているだけだ。

(所要時間90分)

著者:フミコフミオid:Delete_All

フミコフミオ

海辺の町でロックンロールを叫ぶ不惑の会社員。ブラック企業勤務〜フリーター〜再就職を経て本稿の話題にいたる。90年代末より現在まで、日々の恥をブログに綴り続ける。
ブログ:Everything you've ever Dreamed
Twitter:@Delete_All

フミコフミオさん著書『ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる』を抽選で10名様にプレゼントします。詳細は以下の応募要項をご覧ください。たくさんのご応募、お待ちしています!

応募要項

応募期間 2019年9月26日(木)~2019年10月2日(水)23:59
賞品・当選者数 『ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる』10名様
応募方法 この記事をTwitter連携した上で はてなブックマークに追加 し「#フミコさん本プレゼント」と記入してください。 このエントリーをはてなブックマークに追加
抽選と発表 応募期間終了後に厳正な抽選を行い、当選ユーザー様の登録メールアドレス宛に送付先情報等を確認するメールをお送りします(取得した情報は本賞品送付用途以外には使用いたしません)。なお、送付先は国内に限らせていただきます。
発表は賞品の発送をもって代えさせていただきます。

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※この記事は以下の取り組みで出版された本の紹介記事になります
hatenacorp.jp

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編集:はてな編集部