18年間エレカシと宮本浩次への偏愛を続けた私が、人生で何度も聞きたい3曲【わたしの偏愛】

はてなブログは、「書きたい」気持ちに応えるブログサービス。ささいな日常や忘れらない出来事を綴るブログだけでなく、「推しへの思い」や「好きな映画の感想」「お笑いの分析」など、趣味や好きなものへの思いを言葉にするブログも数多く見られます。

そこで、週刊はてなブログでは「好きなもの・こと」についてつづるはてなブロガーに、その思いを語っていただく連載【わたしの偏愛】を始めます。

今回は、ブログ「エレカシブログ 俺の道」のサクさん (id:mpdstyle) に「エレカシの魅力とおすすめの曲」について寄稿いただきました。エレカシのライブレポートをはじめ、数々のエレカシ情報をブログに書き始めてから2021年で19年目に突入したサクさん。19年間ブログを更新し続ける原動力であるバンドと曲の魅力などを紹介します。
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エレカシの30周年ツアーを収録したBlu-rayの箱と中身

みなさま、こんにちは。「エレカシブログ 俺の道」を運営しているサクと申します。

私は日中、タブレットと書類を片手に難しい顔をしながらサラリーマン的な仕事をしている。それ以外の時間は大抵エレファントカシマシ(以降、エレカシ)の音楽を聴き、いざライブに行けば「おい、宮本!*1期待してるぞ!」「まだ行けるぞ!」などと叫んだりしている。参加したライブのレポートを書き殴ったりメディア露出をまとめたりしているブログは、もう始めてから19年目に突入してしまった。ちなみに友人からは、これらの活動を「サクの本職」と呼ばれているが、この「本職」では収入はなく、ライブチケットや旅費などの費用はかさむ一方だ。

最近は「副職」のサラリーマン稼業が忙しくなり、「本職」のエレカシ稼業はコロナ禍もあって、閑職に追いやられているが、エレカシ、宮本浩次への熱自体は一向に冷める気配がない。今回は、週刊はてなブログ編集部さんからの依頼もあり、18年間にわたり一方的に『偏愛』し続けているエレカシ/宮本の魅力を、そして追いかけ続けた18年を振り返り、悩みに悩んで選んだ3曲を紹介したいと思う。世の中と戦う人、いや今を生きる全ての人たちにどこかしらに引っかかる曲を選んだつもりだ。

私とエレカシとの出会い、奇天烈な言動の裏に隠れる本当の魅力

曲の紹介の前に少しだけ、私とエレカシの出会い、エレカシの魅力の話をさせてほしい。

私は1982年生まれの38歳。一方エレカシは1981年に結成、1988年にプロデビューなので、デビュー直後の活動をリアルタイムで知ることはなかった。

2000年頃、エレカシは「HEY!HEY!HEY!」などの音楽バラエティー番組に積極的に出ていた。そこではボーカル宮本浩次の個性的なキャラもあり、大きな笑いを取っていた。私は「エレカシの宮本って人は『要するに』って言っても全然要約していないし、隙あらば髪をかきむしっているし、面白いなあ」とテレビの前で宮本の奇妙奇天烈な言動に笑っていた。そして肝心な曲のパフォーマンスコーナーではチャンネルを変えていた人間だった。

その後、2002年にエレカシは「SINGLES 1988-2001」という、デビュー曲から2001年までの最新シングル曲を収録した、言わばベストアルバムを出した。どこか琴線に触れたのだろうか、たまたまそれを手にした私は、なけなしのお金をはたいてこのアルバムを買っていた。ただベストアルバムに収録されている24曲の音楽群から受けた衝撃を、今でも鮮烈に覚えている。

バラエティー番組でのパフォーマンスは一体何だったのだろう。「俺たちの表現を見ろ」と言わんばかりの強烈な自己主張、人生の喜怒哀楽をそのまま剥き出しにしているのにどこか美しく繊細な歌詞。パンクロックと見まがうがごとくのハチャメチャをやりつつ、緻密な表現もやってのけるバンドサウンド。スピーカーの前で人生で味わったことのない衝撃にすっかりヤラれてしまった。

そしてそれを創り上げたこの男たちに「音楽に、人生に本気だ」といった陳腐な感想を抱いたことをぼんやりと覚えている。音楽バラエティー番組での奇妙な言動とは裏腹に、いや音楽的情熱はメビウスの帯のようにつながっているのだろう、4人が奏でる曲の衝動的なパワー、宮本浩次の書く詩の大胆かつ繊細な世界観にまんまと取り込まれてしまった。この「計算された衝動性」というべきか、いささか矛盾したエレカシの魅力は、人生でライブといった類に行くことがなかった私を変えてしまうものだった。

エレカシのライブは不思議な魅力に溢れている。4人たちにほとんど会話はない。しかしうまく波動しあっている。「音楽で会話している」のかどうかは分からないが、もはや彼らの中では会話というコミュニケーションは必要ないのだろう。アイコンタクト程度の合図でライブは進行する。

そこで宮本は爆発する。と言ってもただ「がなる」だけではなく、時には涙し、バラードを歌い上げ、世の中に憤怒する。優しい目でギターをかき鳴らしていたと思えば、瞬時にテンションを上げ、会場を走り回り、「世の中の化けの皮を剥がしに行こうぜ!」とオーディエンスをあおり立てる。

もちろん私たちもそれに呼応しながらも、宮本をはじめ、4人の一挙手一投足に圧倒させられる。日々の生活のさまざまな想いを混ぜた歌や曲に、いつの間にか私は無自覚に生きていくことへの希望を見いだしているのだ。

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グッズストラップを仕事用の携帯に巻き付け、仕事用のiPadにも背面に「THE ELEPHANT KASHIMASHI IS A BAND!」を刻印し、「あの4人も頑張っているから、俺も頑張ろう」と気合いを入れている

それらの体験を繰り返すうちに「この波動を少しでもネット環境で共有できれば」と、ライブレポートをブログで書くように。*2気付いたらもう19年も続けてしまっている。

さて、少しと言いながら前段がだいぶ長くなってしまった。早速ロックバンド・エレファントカシマシ/宮本の魅力が十二分に堪能でき、聞く人の人生に寄り添い彩りを与えてくれるような3曲をご紹介しよう。

私が人生で何度も聞きたいエレカシ/宮本浩次の名曲たち

絶望の果てに見た希望、起死回生の「四月の風」(1996年)を聞かずには死ねない

エレカシは決して順風満帆な歴史を送ってきたわけではない。前述の通り1988年にプロデビューしたが、厭世的(えんせいてき)な楽曲、ライブをしてもアンコールもなし。時にライブの観客をののしりながらのパフォーマンスなど、宮本浩次の激烈な若さが前面に出過ぎて、デビューから7年でレコード会社からの契約解消を言い渡される。

さらに所属事務所の解散の憂き目にも合い、音楽シーンからの一時撤退を余儀なくされてしまう。そんな中、宮本浩次はメンバーとデモテープを作りつつ、営業マンよろしくレコード会社や所属事務所との交渉を続けた。結果、1年強のブランクを経て「悲しみの果て/四月の風」という両A面シングルにて再デビューを飾る。

「悲しみの果て」は今でもエレカシのライブ定番曲であり、テレビやメディアでもよく披露されていることから、この記事を読んでいる方の中にも聞いたことがある方は多いと思う。今回は敢えてそのシングルのもう1曲、「四月の風」を強くオススメしたい。

古くからのエレカシファンが「宮本、一体どうしたんだ?」と驚愕したというポジティブな歌詞、軽やかなメロディー。けれど私はいまだにこの曲を聴くたびに、宮本が心機一転、メンバーと共にエレカシを「再起動」し、大きな希望を胸に秘め、新しい事務所、レコード会社を探し回った日々のイメージが勝手に想起される。

日常に疲れたとき、「これからの人生、いろいろな人に出会い、また何かがきっと始まるだろう」と私も奮起することができる。人生讃歌として多くの人生に寄り添い、優しく「再生」を促してくれる力を持った曲なのだ。

この曲にはCD音源化されたバージョンの他に「デモバージョン」がある。もともと新しい事務所へのプロモーション用の音源だったが2013年に市販されることとなった。このバージョンを聴いた私は取り憑かれたようにブログのタイトルにこう記した。

orenomichi.hateblo.jp

……タイトルの表現が些か強過ぎるかもしれない。普段の表現行為は大人しくしているが、エレカシになってしまうと熱く過剰になってしまう。ただそのくらい言いたくなってしまうこの曲を、一度耳にしてもらえるとうれしい。

年齢を重ねるたび、深く味わえる友情の歌「友達がいるのさ」(2004年)

前述したように、全くライブには縁のなかった私は、今では盛んにライブで叫ぶようになってしまった。そのキッカケとなった曲が「友達がいるのさ」だ。

運良く参加できた2004年の日比谷野音ライブで初披露されたこの曲。当時、宮本浩次は38歳。この歳になってこんなにストレートに「友達がいるのさ」「あいつらがいるから 明日もまた出かけよう」と言えるのか。万感を込めた歌詞に、気付けばステージを凝視しながら泣いていた。同時に「これは売れる! この曲が100万枚売れなかったらこの国はおかしい」そう本気で思っていた。*3

ただ地味に人気を博し続け、宮本はライブで「この曲が好きな人も多いみたいなので」なとど照れ隠しを込めて紹介しており、今では日比谷野音をはじめ、大規模なライブの終盤の曲として定着しつつある。

エレカシはデビュー以来、メンバーに一切変更はなく、「ガキの頃からの仲間」で活動を続けている。この曲の演奏時、宮本がメンバーを指さしたり、時に肩を組んだりする仕草もうれしい。宮本浩次にとって、バンドメンバーは仕事仲間だけれど、第一の「友達」でもあるのだ。

この「友」に関するフレーズは、ヒット曲かつライブの定番曲にもなった「俺たちの明日」(2007年)をはじめとして、頻繁に宮本の書く詞に登場するようになっていく。そして「共に、お前(=友)も行こうぜ」という表現を特に好んで用いている。

私もいつの間にか宮本が「友達がいるのさ」を初披露した同じ年齢になった。今になってこの歌詞の意味がより深く響いてくる。学生時代からくだらないことや大きな夢を語り合った友が、人生の喜びや悲哀を感じながら、毎日どこかで戦っている。普段密に連絡を取り合うことはない。ただ「あいつら」の頑張りをふと想う。私も頑張なければと。

「友達がいるのさ」のおかげで20代では決して味わうことができなかった友への思いが、実感することができる。歳を重ねるたびにより深く味わえる曲なのだ。

54歳にして歩みを止めない、宮本浩次。その魅力が極限まで発揮されたカバー曲「あなた」(2021年)

宮本浩次は現在54歳。ロック歌手としてはとうにベテランの域へと達しているが、この男の歌への情熱は年々増していると感じる。 2018年にはエレカシの活動と同時並行でソロデビューへ舵を切った。椎名林檎や東京スカパラダイスオーケストラとのコラボ、Instagramの開設などエレカシ時代には考えられなかった自由な活動を日々行っている。

自分より若いミュージシャンをサポートメンバーやプロデューサーに迎え、貪欲に「より良い音楽」を日々模索している。決して冗談ではなく「世界一売れたい」「勝ちたい」と口癖のように唱え、それを有言実行しているこの男の姿に、私はいまだに新たな感銘を覚える。

昨年(2020年)には初のソロツアーを敢行する予定であったが、新型コロナウイルス感染対策のためツアー自体が中止に。しかし宮本は歩みを止めない。2020年の緊急事態宣言中に「子供の頃に聞いてきた愛すべき歌謡曲」をカバーしたアルバム「ROMANCE」を発表した。

余談だが、赤羽の団地に住んでいた宮本少年は、テレビで流れる歌謡曲、ベストテン番組が大好きで繰り返し数多く聴いていたという。あるときテレビで流れていた東京放送児童合唱団(現・NHK東京児童合唱団)の募集告知を目にした母親が応募し、見事合格。宮本は10歳にして、東京放送児童合唱団から「はじめての僕デス」にてソロデビューし、レコードを発売。10万枚のヒットを記録している。実はこの男は生まれてから40年以上、「歌い続けている歌手」なのである。類稀なる歌唱力の片鱗は、この頃から現われているのだ。

幼少期から現在までの想いが「ROMANCE」というカバーアルバムとして結実され、エレファントカシマシ、宮本浩次としての活動を通じて初のオリコンチャート1位を獲得した。

きら星のごとく12曲が散りばめられているため難しいが、このアルバムの中から私が個人的に好きな「あなた」を紹介したい。

www.youtube.com

まずはなんと言っても圧倒的な歌唱力!「あなた」を作詞・作曲した歌手の小坂明子さんもインタビューにて、

「この曲は60人以上にカバーされていますが、彼のは鳥肌が立ちました。完全にオリジナルにしていて、間違いなくナンバーワン」(「週刊アサヒ芸能」2020年11月5日号より)


と評する出来となった。

今まで宮本は、自身が紡いだ歌詞とメロディーで歌うボーカルだった。本アルバムでは、他者の作ったものに委ねたことによって宮本の進化を堪能できる。「こんな歌い方も、こんなキーも、こんなリズムの取り方もできるのか!」と度肝を抜かれたファンも少なくない。「あなた」という曲ではその凄みがひしひしと伝わる。

私もこの曲を聴きながら「宮本にこういう一面があったのか」と毎日驚きを隠せずにいる。同時に「宮本が幼少期に、赤羽台団地にて家族と歌謡曲を聴いていた光景」にも思いを馳せる。そこにはきっと、強くて優しい宮本の歌声から「深い愛情に包まれた家族」があったことを容易に想像できる。

宮本は一曲一曲のレコーディングのたびに涙を流していたという。その心底は推し量るほかないが、家族への強い想いがあったと感じる。2021年1月現在、コロナ禍において自宅にいる時間が増えた。そんななかで、家族の愛と夢と希望が存分に込められた曲と歌詞を堪能している。私にとって「あなた」は自分自身の幼少期も思い返しながら、現在へと続く家族や大切な人への想いを再確認できる曲となった。

こんな時期だからこそ、あなたにとって大切な人への想いを宮本の歌に乗せて思い返してみてほしい。

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宮本と私の年齢差はおよそ15歳、言うにこそばゆいが「偉大なるロック歌手」という想いから、最近では徐々に「人生の兄貴」とも感じるようにもなった。

「今、宮本はこういう感情を抱いて生きているのか」「私の年齢のとき、宮本はどんな曲を出していたのだろう」「父、母、家族に対して語ることが多くなったな」と、感じることは多い。

宮本は近年、愛する母を亡くし、曲やインタビューでもそれらに触れることも多い。決してうれしいことだけではない人生、悲哀も、怒りも含め、全てのエネルギーを情熱的に歌に込めるエレファントカシマシ、宮本浩次の表現活動には常に注目している。

つらつらと書いてきたが、エレファントカシマシが30年以上にもわたり、270曲近い作品を世に送り出している。今回は絞りに絞って3曲だけにとどめておくが、読んでいる方の人生をさらに彩るであろう曲はもちろんまだまだたくさんある。この記事をキッカケにそれらに触れてもらえれば、私としてはこんなにうれしいことはない。

著者:サクid:mpdstyle

サク

1982年、福島県出身。エンタメ系には興味はなかったが、20歳の頃に聞いたエレカシに惚れ込み過ぎてしまい、今に至る。エレカシにまつわることならどこへでも行きたいが、最近はあまり時間が取れない。本職は会社員。
ブログ:エレカシブログ 俺の道


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*1:エレカシのフロントマン・ボーカル・ギター・総合司会、宮本浩次。女性ファンは「宮本さん」、男性ファンは「ミヤジ」と呼ぶ人が多いが、私は最上級の尊敬の意を込めてあえて「宮本」と呼んでおり、本稿でも敬称略し「宮本」と呼ばせていただく

*2:一番印象に残るライブは、2012年10月14日、日比谷野音で開催されたライブ。宮本は耳の病気を発症し、日比谷野音で「一旦のご挨拶」を行い、療養中は宮本自身が「歌うことへの新たな想い」を強く感じ、約1年の休養を経て完治。治療前最後のライブが非常に印象的な時間だったので、「ライブレポート」をお読み頂ければ幸いです

*3:結果それほど売れてはいませんが(笑)、この曲の真価はこれから発揮されると信じている