「ブログ更新のため」に生きるとは?一人きりで15年以上書き続けたブログが書籍化されるまで|作家・乗代雄介【書籍プレゼントあり】

※キャンペーンは終了しました。たくさんのご応募、ありがとうございました。

はてなブログ(2003から2019年まで運営のはてなダイアリーの期間も含む)を使ってくださっている方に、ご自身とブログについて寄稿していただく企画の第3弾として、2019年に『最高の任務』が芥川賞候補にノミネートされた作家の乗代雄介(id:norishiro7)さんに、ブログを書くことについて寄稿いただきました。
2004年から「ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ」を運営し、創作や書評、エッセイなどをブログにつづってきた乗代さん。進学、就職、そして作家デビューまで共に歩んだブログを書籍としてまとめた『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』が2020年7月に国書刊行会より刊行されました。15年以上にわたる乗代さんとはてなブログとの濃厚な思い出をそのまま記事にしています。ぜひ最後まで楽しんでください。

「一人きりで15年以上書き続けたブログが書籍化されるまで」アイキャッチ画像

 中学生から始めたライブドアブログをはてなダイアリーに移転させて、はてなブログへ。そんな流れでもう20年以上ブログをやってきました。はてなのアカウントを取得して設定していく時の「ここを俺の城にするんだ」というワクワク感を今でも思い出せますが、見た目には何もこだわらないので10分で終わりました。
 僕にとってブログは、書いたものをたくさん置いておけて気に入らない文があればいつでも直せる自分のための練習の場で、それ以外の意味はあまりなかったように思います。たまについたコメントも返さないことも多かったし、ずっと内にこもって同じことをしてるだけだからブックマークもあんまりつかなかったし。

 それでよかったのは、読むことも書くことも、僕にとっては長らく一人でする恥ずかしいものだったからです。でも、それより夢中になれるものはなく、人生において最も優先すべきは「書くこと」でした。そして、それは長らく「ブログを更新すること」と同義だったのです。その積み重ねが一応は小説家という現状につながって、その結果、書くことはブログから少し離れましたが、嬉しいことに、過去の記事がまとまって本になりました。
 だから、ネットでブログ自体に人気が出て書籍化されたものとは、ちょっと毛色が違うかも知れません。読者のことをこれっぽっちも考えない芸のない更新の仕方でページビューも少ないブログで、みなさんにお伝えできる有益な情報は何もないので、せめてブログに対する心意気を――僕がどれだけブログ更新を考えて生きていたか、ということを書きたいと思います。「新鮮な気づき」や「効率の良い学び」とかいったものは皆無の記録になりますが、お付き合いいただければ幸いです。

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「ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ」トップページ

 そもそもネットでものを書き始めたのは、千葉の柏にある私立中に入学して、一人一台ノートパソコンを持たされたのがきっかけでした。日記サイトを運営した後で、ブログを始めて夢中になりました。
 いわゆる「人生賭けてやりたいこと」と若い時分に出会って、何はともあれやり始めてしまったということは、まあ色々と弊害もあったのでしょうが、とても幸福なことだったと思います。まず、学生時代の思春期の悩みというのがほとんどありませんでした。
 「何のために勉強するのか」みたいな疑問についてその都度考えていると、答える間に矛盾が発生してしまいます。そんな質問を他人にふっかけて勝ち星を稼ぐ失礼な奴さえいますが、そいつの連勝を止めることができるのは、どんな質問であろうと自信を持って「○○のため」と判で押したように同じ言葉で答えられる人だけです。
 つまり、僕にとっての「○○」は長い間「ブログ更新」だったわけですが、「なんで因数分解を学ぶの」と訊かれたら「ブログ更新のため」と答えるし、逆に「なんで因数分解を学ばないの」と訊かれた場合も「ブログ更新のため」と答えて何の矛盾も不自由もありません。その全てをひっくるめた質問のラスボス「何のために生きるのか」をぶつけられても、同じことを言えばいい。
 ○○の中身は、人によって「野球」だったり「将棋」だったり「金儲け」だったり「宗教」だったりするわけですが、そんな○○と若い時分に出会って、死ぬまで何の疑問もなく言い続けられるとしたら、それはやはりとても幸福なことだと思います。そうでなければ、死ぬまで「何のために」という質問をし続けることになっていたでしょうから。

 では、「ブログ更新のため」に生きるとはどういうことか。それが僕の学生時代のテーマとなっていきます。色々な点で恵まれた環境にいたからこそではありますが、それは具体的にいうと、親にうるさく言われないようそこそこの成績をとり、学校でも問題を起こさないように過ごし、身だしなみを整え、人間関係は付かず離れずを保ち、暇さえあれば一人になってパソコンを開き、ひたすら書くということでした。
 もちろん最初は無邪気で中途半端なもんでしたが、高校に上がると「ブログ更新のため」にもう開き直っており、朝、柏の駅ナカにあるベッカーズでブログを書いて一時間くらい何度も遅刻したり、文化祭を抜け出して近所のサイゼリヤでブログを書いたりしていました。こういうことはつるんでやったり人に言ったりするから明るみに出るのであって、誰にも言わずに一人でやっていたらバレるはずがありません。「学校よりブログの方が大事」という確信があるので堂々としたものでした。
 これはもしかしたら「新鮮な気づき」の類かも知れませんが、この時期に「自分にとって大事なことを他人と共有せず堂々と過ごしていれば人生は大丈夫だ」という変な自信を育てていたような気がします。やはりそれは、共有すると脆くなってしまう「○○のため」を突き固めていく作業でもあったのでしょう。

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柏駅前

 そんな気持ちになってしまったので、担任の先生がゆるかった高2の時は、大丈夫そうならHR(ホームルーム)を早めに抜け出して、普通なら乗れないバスで帰ってブログを更新する生活でした。そのためには後ろの出入り口に一番近い席にいたいので、席替えのくじ引きでその席を引いた人に誠心誠意たのんで交換してもらって、年中そこに座っていたのを思い出します。どういうわけか断られた記憶がなく、途中からそういうものだという風になって向こうから持ってきてくれたこともあるし、クラスメイトに恵まれていたのかも知れません。
 志望大学を選ぶのにも色々と条件があるでしょうが、僕の場合は「一番ブログが更新できる大学」でした。簡単に言うと、受験勉強せずにさっさと合格できて一人暮らしが可能なところです。かなり早い段階で、多摩にキャンパスがある法政大学社会学部のセンター試験利用入試制度に狙いをつけました。
 ただ、通っている学校が千葉ではそこそこの進学校なので、あまり早い段階でそこが合格圏内になってしまうと、進路指導でもっと上を目指せと発破をかけられて面倒くさいことになるのは目に見えていました。それではおちおちブログも更新できないというわけで、高2~高3で受けさせられる模試は、わざと点数を落とすことにしました。英語と日本史はそれが出来るほどの実力ではないので、得意な国語でやります。河合塾の模試だとまあ普通にやれば200点満点中160点以上は取れるので、急いで全力で解いたあと、そこから50点ぐらいを落とすべく、自信のある問題からずらしていきます。漢字でずらすのは美しくないなとか考えて、割と楽しいものです。するとだいたい110~120点、偏差値55~60のいいラインに収まって、文系3科の偏差値も50そこそこになって、先生も「法政大学目指して頑張れよ」ということになるのでした。さすがに最後の模試では正確なデータが欲しいので加減せず出したら、マークシートと記述の両方で国語の偏差値80とかになってしまい、進路指導で「早稲田を受けない理由を言え」とつめられましたが、「家から近い早稲田に行ったら一人暮らしができず、ブログが好きに更新できないじゃないですか」と言うわけにもいかず、のらりくらりとかわしきりました。まあ、最終的には試験当日にサボるだけなんですが。

 結果として、予定通りにセンター利用入試で法政大学に合格しました。いかんせん受験の緊張感はなく、センター試験の最中だったか終わった日だったか、2ちゃんねるの国内サッカー板に「今日俺が近所の公園でリフティングしていたら」という小話を書いたスレッドをふざけて立てました。そうしたら、その話にインスピレーションを得て小説を書き継いだ人がいて評判になったみたいで、後に『俺が近所の公園でリフティングしていたら』というタイトルで小学館から本になって、ちょっとしたお金をもらいました。だから厳密に言うと、ネットで書いたものが書籍化されたのは今回が二度目になります。

俺が近所の公園でリフティングしていたら

俺が近所の公園でリフティングしていたら

  • 作者:矢田容生
  • 発売日: 2013/02/15
  • メディア: Kindle版

 そんな風に過ごしてきた僕も、大学入学にあたって少しの期待をしていました。
 全国から人が集まる大学だもの、中高にはいなかったすごい人やおもしろい人がいるのではないか、そういう人と切磋琢磨する時代が始まるのではないかという期待です。で、演劇とかお笑いとか文芸とか色々とサークルを見て回った結果、そんな人はいないという結論にすぐ至りました。いや、いたのかも知れませんが、少なくとも表立ってやっている人は、見るのも痛々しいという有様でした。今思えば、別に大学にこだわる必要なんてないのですが、そんなわけでもう早々に、今まで以上にブログを更新するためだけに生きることにしました。図書館と自宅の往復をして、読むか書くかだけの日々でした。この時期の記事を見ると、日記でもないまとまった文字数の創作を二日に一回ぐらいのペースで更新しています。
 シックハウス症候群に気づかず部屋でブログを更新し続けたら喘息で死にかけて病院に足を踏み入れるなり呼吸困難で気絶したり、体育のサッカーで足の甲の骨を折って手術入院してお見舞いに来たのがアパートの大家さんだけだったり、原付で交通事故にあってブックオフで買った本を道路にぶちまけてまた気絶したりはしましたが、何はともあれブログが更新できていたので問題ありませんでした。
 ゼミもほとんど行かずじまいでした。芸は身を助くと言っていいのか担当教授に目をかけてもらい、時々顔を出してレポートだけ出している状態でOKみたいな扱いになっていましたが、挙げ句の果てに、大学に行く時間すら惜しくなったので一年休学しました。
 ブログを更新するために生きている以上は筋を通して就職活動を一切していなかったので、卒業後は求人広告を見て塾講師の仕事に就きました。前ほど時間はとれなくなりましたが、それ以外の時間はブログを書いたり小説を書いたりしていたので、新たに書くことはあんまりありません。しばらくして群像新人文学賞を受賞しました。

十七八より

十七八より

  • 作者:乗代雄介
  • 発売日: 2015/09/25
  • メディア: Kindle版

 結局、書くことについてはずっと一人でやってきたというわけですが、本来なら、そういう思いを共有できるのがネットの世界ではないかと、お考えになる人もいるかも知れません。現実の環境に悶々としている人達が、ネットに集まることで孤独を救い合っているじゃないか、と。
 これは、山下達郎と桑田佳祐がラジオでしていた話なんですが、山下達郎が通っていた都立の進学校では、クラスの半分がビートルズの公演を観に行っていて、教室で「You're Going To Lose That Girl」を歌ったりしていたそうです。一方、鎌倉の私立の桑田佳祐のクラスでは、「Come together」の「シュッ」のモノマネがされていただけ。桑田佳祐は「東京はやっぱり違う、まず横浜に関所があるから」と笑い話にしていましたが、そういうことって確かにあるとあなたを見ててそう思うわけです。
 で、僕が言いたいのは、そんな風に自分のいる環境に差があるのをすっ飛ばして、今、最後に挟み込んだ文の元ネタがさだまさしの「無縁坂」だとわかった人は、このネットの世界には確かに何人もいるだろうなということなんです。柏の学校にはいなかったから、さだまさしが好きだった高校時代の僕は休日に一人、iPodはもう出ていたけどMDプレイヤーで「木根川橋」を聴きながら、荒川にかかるその橋までぶらぶら歩いて行ったこともあるけれども、ネットならそうじゃないぞ、と。
 確かに、実際、そういう世界がネットにはありました。同じ文化を共有できそうな人が沢山いて、ブログを書いている人も沢山いました。でも、はっきり言って、そんなことは何の助けにもならなかったのです。理由は、さすがにこの年齢になるとわかるような気がしますが、僕は別に趣味の合う友達がほしかったわけではなく、山下達郎とか桑田佳祐とかみたいなすごい人に出会うことを求めていたのでした。哀れなことですが、自分のことを棚に上げて山下達郎や桑田佳祐レベルの人に会いたいという尊大な要求をして、全然ダメだとがっかりしていたのです。結局、ネットも現実も変わらないじゃないか、と。

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無縁坂

 似たようなことを、一冊の本で味わったことが思い出されます。
 『IMONを創る』(アスキー)という『ぼのぼの』で有名ないがらしみきおが書いた本で、高校生の時に古本屋で見つけて衝撃を受けて以来、僕の座右の書です。これに影響を受けたという人がいたらそれだけで「あれ、読んだんだ」なんて言って友達になれそうな気がしていたものですが、今ではというか当時も結構な希少本だったようで、そんなものを読んでいる人が身近にいるはずもありません。そこで、ネットに同好の士はいないかと検索しました。でも、一行二行の言及が一つだけで、全く出てきやしないのです。自分が一番好きな本を読んでいる人がネットにすらいないというのはショックでした。
 その後、僕は『IMONを創る』について長々とブログに書きましたが、その時には「あれ、読んだんだ」と言ってくれる人がいるかもなんて、そんなことを考える気力はもうありませんでした。それに、ブログに言葉を積むうちに、自分のためだけに書くという実感が少しずつ生まれてきていました。
 ネットだって結局は生身の人間がやっている営みなんだから、そこで他人をあてにするなんてやっぱり間違ってるんだ、現実と一緒で、みんな一人でやるしかないんだ、誰に読まれなくてもいい、一人でどれだけやったか、考えたかなんだ。『IMONを創る』はまさにそうやって考え抜く本だったじゃないか。もう知らん。

 そんな気持ちで書いているブログが書籍化するんだから、世の中わからないものです。
『IMONを創る』について書いたものが収録されている手前、ちょっと気は引けましたが、いがらしみきおさんにも献本をすることになりました。
 少しして、担当編集者から「いがらしみきおさんから、とりあえずのお礼ということでメールがきたので転送します」と連絡がありました。短い文面でしたが、そこにはこう書いてありました。

「『IMONを創る』をここまで読んでくれる方がいるとは思ってもいませんでした」

 何のことはない、初めて「あれ、読んだんだ」と声をかけてくれたのは、その本を書いた人だったというわけです。ああ、この世界にはいがらしみきおがいるんだ、と思いました。いがらしみきおの本を読んだ人、いがらしみきおレベルの人じゃなくて、いがらしみきおその人が。
 長々と一人でブログを書いてきたのは、そんな当たり前のことをよくわかるためだったのかも知れません。そして、こんなバカみたいに愚直なやり方を20年ぐらいやって作家になってブログを本にしてという回り道の結果でなかったら、ちっともわからなかったことでしょう。ブログをがんばってよかった。他の誰も入れずに突いて固めて渇かしておいた心にどうしようもなく沁み渡る尊敬している人からのメールは、プリントアウトして冷蔵庫に貼ってあります。

著者:乗代雄介id:norishiro7

乗代雄介

1986年、北海道江別市生まれ。法政大学社会学部メディア社会学科卒。2015年、「十七八より」で第58回群像新人文学賞を受賞しデビュー。2018年、『本物の読書家』で第40回野間文芸新人賞を受賞。2020年、『最高の任務』で第162回芥川賞候補。
ブログ:ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ
Twitter:@norishiro7


週刊はてなブログでは、『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』を抽選で3名様にプレゼントします。詳細は以下の応募要項をご覧ください。たくさんのご応募、お待ちしています!

創作・エッセイ・書き下ろし小説がぎゅっと詰まった新刊『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』

ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ

ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ

乗代雄介さんが中学生の頃から15年以上にわたって書評やエッセイ、創作を行ってきたブログが著者自選・全面改稿の上、書籍化されました。約600編の掌編創作作品から67編を精選した『創作』、先人たちの言葉を供に、芸術と文学をめぐる思索の旅路を行く長編エッセイ『ワインディング・ノート』と書き下ろし小説『虫麻呂雑記』が併録されています。

応募要項

応募期間 2020年9月25日(金)~2020年10月1日(木)
賞品・当選者数 『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』3名様
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