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ブログを書くということ | 文・黄金頭(id:goldhead)

はてなブログのユーザーに、自身とブログについて語っていただく【「ブログを書く」ってどんなこと?】シリーズ。今回の執筆者は2004年からはてなブログを続けている黄金頭(id:goldhead@goldhead)さんです。

ブログに書くネタがない人でも「言葉が重要」「言葉の刃を研ぎ続けるしかない」と言う黄金頭さんが考える、“ブログの書き方”指南とは。そして、「たった一人でブログを書いてきた」という黄金頭さんが、長く書くうちにブログを読む人の存在を認識し、ブログを読んで行動を起こす人がいることに気づいて「ブログを書くことをすすめる」理由とは……?

黄金頭さんにとっての「ブログを書くこと」について、つづっていただきました。

ブログを書くということ | 文・黄金頭(id:goldhead)

献辞

はてな村民へ捧げる

はてな村が喜んで受け取るような敬意を、はてなが持つメディアで表明できるのは、徳の高い村民だけだ。おれはそう確信している。二十年も前から、はてなの名誉を称えることのできる村民になろうと、ひたすらに努力をしてきた。このたびおれは、これまで力の至らなかったところを、いくらかでも埋め合わせることのできるチャンスに恵まれたといえる。おれを鼓舞してくれるこの熱意に応じて、はてなの名誉を称えることが許されたのだと思っている。本当におれにその資格があるかどうかは知ったことではないが。

……などと、ルソーの『人間不平等起源論』の献辞っぽいことを書いて登場したのはおれ、黄金頭(id:goldhead)。あらためて自己紹介したいと言いたいが、おれには紹介できる要素がないことに気づいて頭を抱える。

おれはなにかの博士号を持っているわけでもないし、医師や弁護士という魅力的な資格を持っているわけでもない。そもそも大学も出ていないし、単著もない。起業したこともないし、優秀なビジネスマンでもない。人に一目置かれるような趣味もない。ないないづくしの低賃金労働者にすぎない。あるのは双極性障害という病気くらいだ。

なのに、おれにお呼びがかかったということは、おれも一応はブロガーのはしくれだということか。むしろ、なにかとかけ合わせることもなく、単に雑記、日記のブログを長年書いているのは珍しいのかもしれない。おれは徒手空拳の純粋ブログ者だ。そのおれが「ブログを書くということ」について書かせていただく。

おれはブログにブログを書いている。それ以上でもそれ以下でもない。



それでも文章の届くところ

そのおれとて、わりと長いこと、たった一人でブログを書いてきたという感じがする。なんとなく読んでくれる人がいるな、と思えたのも十年経ったころだろうか。横浜市中区のご近所さんなどだ。さらに数年経って、Amazonのほしい物リストを晒してみたら、食べ物や酒などをお恵みいただけるではないか。「物」自体、貧乏人のおれにとって大きなことだが、わざわざ自分の文章を読んで、そういう行動をしてくれる人がいる、ということに気づけたのはもっと大きな驚きだった。

さらに大きなことがあった。ある人が、自分の同人誌を作ってくれたのだ。過去のおれのブログから話を選び、写真を選び、レイアウトをしてくれた。変な話だ。同人誌というのは自分が作るものだろう。だが、おれは文章の校正をするくらいで、ほとんどなにもしなかった。DTPが本業だというのに。そして、イベントの売り子をしないどころか、現場に行きもしなかった。通販も人任せだった。こんなことって、ある?

なにか自慢じみてきたが、たまには自慢させてくれ。おれがブログを書いていて、かなり自慢したいことがあるからだ。

それは、おれのブログに八十代の女性がいる、ということだ。折に触れて、ご感想をメールしてくれるのだ。メールで感想を送ってもらうことは、「お恵み」より珍しい。それだけでも素敵な話だが、八十代の方が、知的で、丁寧で、心のこもった、そして、ときにユーモアのあるお手紙を送ってくださる。

これはすごいことだな、と思った。いや、思っている。おれのような中年独身男が吐き散らすろくでもない与太話に、おれの二倍くらい生きた、おそらくおれなどより知見のある方が感心してくれるのだ。ときに深く共感してくれるのだ。おれは正直、おれの書くものの射程がそこまで遠くまで届くとは、思っていなかった。

先に書いたとおり、おれには特別な専門領域もないし、人より特別な人生を送ってきたわけでもない。なのに、遠くに声が届くことがある。お返事をもらうことがある。これはどういうことか。誰にだってそういう体験をするチャンスがあるということだ。それは魅力的なことじゃないか。ちょっとでもそう思ったら、書いてみるべきだ。

以下は、「ブログ書いてみようかな」とか、「はじめたはいいけど、なんか続かない」という人向けになるかもしれない。そうでない人にも読んでほしいけど。



ブログしかない人間は言葉を研ぐしかない

一つ、偉そうなことを言わせてほしい。なんの専門もない、特殊な人生のない人間でも、ブログを書くには言葉が重要だということだ。言葉と文章。厳密には違うかもしれないが、まあいい。

人の興味をひくようなネタを持っている人は、いくらか読みにくい文章でも注目されるだろう。さらにいえば、今の時代、ネタがある上に文章力がある人なんてネット上にはたくさんいる。

さらにさらにいえば、文章よりもパワーのある漫画や動画で表現する人たちが主流になっているのかもしれない。ただの文章は過去のものかもしれない。

それでもなお、単なる文章のブログを書くのなら、言葉の刃を研ぎ続けるしかない。言葉だ、文章だ。おれも毎日言葉のことを考えない日はない。言葉のことばかり考えている。言葉だ、言葉。文章だ、文章。

……って、文章の技法なりなんなりについて書くことは、とても難しく、とても恥ずかしいことだ。なぜならば、この文章自体で、即、それが明かされてしまう。下手なことは書けない。下手に書いてもいけない。それでも書く。そういう日もある。今、孔雀が一羽死にました。

で、どうする? 新聞のチラシだろうが、目に入ってくる文章を意識的に読む。そんな意識が必要だ。できることなら書籍として形になったものを読む。気に入った文体があったら、そこからつながる書き手を探る。気に入らない文体のものは読まなくていい。反面教師なんて存在しない。いいものだけとるべきだ。え、言葉と文章と文体の違い? 知らね。

そして、真似して書く。人真似はよくない? そんなことはない。文体にオリジナルなんてありはしない。もちろん、文章そのものや、独自の情報、その人の体験談をパクっちゃだめだ。でも、文体はパクってなんぼだ。それに嘘を書いたっていい。害のない嘘だ。今、二羽目の孔雀が死にました。

で、たとえば、だれだ? いま有名な小説家って? そうだ、村上春樹でもいい。村上春樹の本を読まなくても(読んだほうがいいのだろうけど)、ネット上にいくらでも村上文体のパスティーシュが転がっているだろう。そんなのを読んで、村上春樹になりきって日記を書けばいい。日記のためにパスタをゆでたって文句はいわない。文体模写とはそういうものかと思うはずだ。

でも、あなたは村上春樹じゃない。残念ながら。でも、まったく自分の文章に向き合ってなかったなら、そこになにか「いい感じ」が生まれているのに気づくはずだ。「らしさ」が生まれているような気がするはずだ。

人から見たら村上でも村下でもないかもしれない。だが、「ないかもしれない」ということは、新しいということだ。あなたは村中だ。それがあなたのオリジナリティだ。おめでとう。あとはその、なまくらななにかを研いでいけばいい。

どうやって研ぐ? 書いて書いて、書くしかない。べつにブログに限らない。Twitterでもはてなブックマークでもいい。短距離の切れ味が上がるだろう。

ただ、たぶん書いてばかりだと枯渇するから、インプットも必要だ。それなら好きな文章を読めばいい。苦労はしなくていい。べつに文章読本を読む必要もない。まあ、ネットに転がっている「読まれやすい文章を書くための8つのテクニック」とか読んでみてもいいが。

え、おれの文章はなにからできているかって? 東海林さだおと高橋源一郎と澁澤龍彦と田村隆一と……たぶん村上春樹も入っている。それと日本語ラップだ。本気で言うのだけれど、日本語ラップをたくさん聞いたら、文章はうまくなると思う。ともかく、おれの文章に、ネタ元を見つけるのはむずかしいだろう。その上で、おれにおれの体と呼べるものがあるのかどうかわからない。ただ、わりと遠くまで届く文章を書くことはできている。そう思いたい。

それが、だれにだってできるとは言わない。けれど、あなたができないとも言わない。

ブログには価値があるのだ



ブログには価値があるのだ。あえてそう言う。世の中にはあまりよくない情報を発信するブログだってある。憎悪や分断を煽り立てるようなブログもある。でも、それが嫌だったら、それよりでかい声を出してみればいいじゃないか。

もちろん、自分で精一杯のでかい声をのせてみても、だれにも読まれないこともあるだろう。だからって、暗黒面に落ちてわざと炎上なんてするべきでもない。炎上し続ける人は、それはそれでたいした才能だと思うが、大抵の人は燃え尽きてしまう。

だから、小さな火だっていいから、とりあえず灯してみるべきだ。その光をだれかが目にするかもしれない。長いこと続けていたら、見る人が増えるかもしれない。自分の想像を超えて届くこともある。

そして、こんな言葉をいただける。先述の八十代女性読者からの言葉だ。

後期高齢者で、体調も不安で、家に篭りがちな者にとって、「感性や関心に共感できるブログ」に出逢って、自分では体験できないことを、様々に語って頂けることは、単調な生活を活性化してくれる、ありがたい刺激です。

こちらこそ、だ。

この単調で低調な日々が、ちょっと変わってくる。ささいな体験から、なにか感じることはないか。季節の変わり目に、咲いた花はないか。そうだ、なんなら言葉でなくてもいい。その人の目になったつもりで写真を撮る。おれが見たものを届けたいと思う。おれが感じたことを伝えたいと思う。なんの根拠もないけれど、それはおれにとってもなにかいいことだ。おれの魂にいいことだ。おれはそう信じている。

そんな悪くないこともあるから、おれはあなたにあらためてブログを書くことをすすめる。この資本主義の社会でたくさんの金を稼ぐ能力がある人間、あるいは道徳的に称えられるような、すばらしいことのできる人間、そんなのは限られている。

だが、それでも日々を生きている人間それぞれに、それぞれの目があって、感性がある。毎日が灰色だと思っていたら、その灰色で塗りたくれ。似たような灰色の日々を送る人が共感する。そんな可能性がある。

そのだれかの目にとまるのは五年後、十年後かもしれない。それでもいいだろう。だれかからの手紙はあなたに届かないかもしれない。べつにそれでもいいだろう。おれも自分の文章が、五十年、百年経ってだれかの目にとまったらおもしろいと思っている。あるいは、おれが八十歳になったとき、まだはてなでブログを書いているかもしれない。あるいは、あなたのブログの読者になっているかもしれない。おれはもう文章を書き連ねることはできなくなっても、だれかの文章のとりこになっているかもしれない。



また、八十代女性読者からのお言葉を引用させていただく。

私としては「ブログを読むこともすごく楽しいことだ」と申しあげたいです。

あなたのブログはだれにも届かないかもしれない。あなたのブログは一切の収益をあげないかもしれない。あなたのブログは誰も笑わせもしなければ、悲しませも、怒らせもしないかもしれない。それがなんだというのだ。今、おれの横で三羽目の孔雀が死んだ。

ひょっとしたら、おれはあなたのブログに共感し、あなたの言葉に涙するかもしれない。そんなことがあるかもしれない。ないかもしれない。そんなことはどうでもいい。ただ、あなたのブログ人生がよいものでありますように。はてなブログが百年続きますように。

著者:黄金頭id:goldhead

黄金頭

横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。
趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。
双極性障害II型。

ブログ:関内関外日記
Twitter:@goldhead


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